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慈悲喜捨の精神「心の反応を変えていく」

ガジュマルの木 ヨガ

こんにちは! ヨガビギナーのTakafumiです。旦那の方です。

最近、ヨーガの哲学に興味があり、本やネットで勉強しているので、このブログで学んだことをアウトプットしていこうと思います。

今回は「ヨガの八支則(Ashtanga)」8つの段階・行法、ニヤマ(Niyama)シャウチャ(Saucha)に記されてる「慈悲喜捨」について書いてみます。

まず八支則とはなんなのか?

ヨガの古典「ヨーガ・スートラ」にでてくる。ヨガ哲学の基本的な考えになります。その中でもYama(ヤマ)、ニヤマ(Niyama)
行動レベルのヨガ、日常の中のヨガ、正しく生きるための日常生活の中での心得になります。本場インドでは、このヤマ、ニヤマを実践なければアーサナ(Asana)の練習する段階になっていないとされるそうです。アーサナ(Asana)はヨガのポーズのことです。

ヨガを全然知らなかったときは、アーサナ=ヨガと思っていましたがヨガの教えの中の一つだったんですね!

ニヤマ(Niyama)/勧戒   日常生活で実践すべき5つの行い。
シャウチャ(Saucha)/清浄
 自分の身体と心をいつもきれいな状態に保つこと。他人に不快感を与えないよう、身だしなみを整えることももちろんのこと
 身の回りの空間をに清潔に保つことも含まれる。心の清浄さとは、嫉妬や嫌悪などネガティブ な感情と思考を排除するよう
 心がける。慈悲喜捨の精神。不幸な人には、憐憫の情を立派な人がいたら自分もそうありたいと精進し、嫉妬するのではなく
 敬う。受け入れ難いひとがいたら、攻撃するのではなく、距離を置き、反面教師として自分の精進にする。

https://www.rishikesh-yogashala.com

この教えにある「慈悲喜捨の精神」とはなんなのか!
ちなみに読み方は「じひきしゃのせいしん」と読みます。

「慈悲喜捨」とは他社に対して行われる自分自身の心のあり方の四つを示した教えです。

慈悲喜捨

慈=友情 幸福な人には友情を

とても幸せな人にあった場合、例えば、自分が目指していた役職に同期が先に昇進してしまった時に「なんで俺じゃなくてアイツ」なんだとか、SNSで幸せそうな友達の投稿を見て「幸せアピールがウザいよね~」とムッとしたりと、他人を妬む気持ちをもってはいけない。

自分が思ったことで相手の幸せが無くなるわけでもなく、自分の中で相手の価値を下げても、自分の価値が上がるわけでもない。

むしろ嫉妬の感情で自分の心が疲れてしまうだけ、そんな心の疲れを起こさないためにも他人の幸せを喜んであげましょう。相手のためではなく自分の心を汚れさせないためにも。「相手への祝福は自分への祝福」になるという教えです。

悲=同情 不幸や苦しみにある人には同情を

幸せな人とは反対に、苦しみの中にいる人に対しては同情心を持ちましょう。困ってる人を見て見ぬふりをしてしまったことで。そのことがずっと気になり「あの時を声をかければよかったかな」とかずっと心に引っかかったままで過ごしていくことになるかもしれません。

心が動揺する種を作らない為にも、苦しんだり、困ったりしている人がいたら、思いをそらすことなく寄り添ってあげることが大切です。別に何もできなくても味方でが何よりも力になるとおもいます。

同情とは蔑みではありません。文字通り「情けを同じくする」ということ。
何ができなくても一緒になって悲しむことで、手を貸せなくても言葉をかける、心を寄り添うだけで救われる気がします。私も、とても落ち込んで生きるのがしんどいなって時に、話を聞いてくれた友人がいて、助けられました。

喜=喜び 尊敬できる人、善き人には喜びを

善き人とは尊敬できる人、徳の高い人、自分より優れている人のことです。そういう人たちに出会ったら素直に喜んで尊敬の気持ちを持ちましょう。

「あの人もすごいらしいけど俺のほうがすごい」などと自意識過剰になると苦しみは自分に帰ってきます。比較することで、素直に受け入れることができず、その人が持っている良いものを学ぶ機会を失ってしまうのです。

私達はどうしても自分の物差しで物事を見てしまいます。やったこともないことを勝手なイメージで拒絶したり、1つの悪しきことで、他のすべても「怪しい、危ない」と鼻から疑って批判してしまっていると損ばかりしてしまいます。

自己愛とプライドの高さで苦しみ続けないように、善き人には尊敬の気持ちともって接していこうという教えです。そのためには謙虚さをもつということも大切だと思います。

「俺も」とか「俺だったら」いう気持ちではなくシンプルに「この人から学ぼう」という姿勢が「自己成長」「心の安定」につながると思います。

捨=無頓着 悪しき人には無頓着を

徳の高い人とは逆に徳の低い人への心の持ち方です。とにかく何でも文句をつけたり、愚痴をいったり、意地悪をする、悪いことを平気でできる悪人などには必要以上にあれこれと思わずに気にしないということです。

私も反応しなくても良いことに反応して言い返したり、無駄に考え込んだりする経験が何度もあります。 「捨」が4つの中で一番むずかしいのかもしれません。

最近よくニュースに出ている「煽り運転」をする人もそうですね。瞬間的に腹が立って相手にその気持ちを伝えないと気がすまないという衝動に駆られる。

相手の行動、言動に過敏に反応して腹が立つ、イライラする気持ちと常に共存している、一番不幸な生き方なのかもしれません。

しかし、自分に危害を加える、不愉快に思える人がすべて「捨」にカテゴライズしていいのでしょうか?私は違うと思います。
常に愚痴を言っている人、何事に対してもネガティブな捉え方をする人は、彼らこそ常にそういう嫌な心と一緒にいることで苦しんでいる人かもしれません。

苦しんでいる人には「悲」の心で、怒りの無意味さを一緒に確認することが大切なのかもしれません。

「慈悲喜捨」のまとめ

慈悲喜捨の4つを家庭、会社、自分が過ごしているコミュニティーの中で思い出すことでで、より穏やかな心で生きていけるのだと思います。

ヨガビギナーの旦那の「慈悲喜捨」の学びの紹介でした!

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