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「将来の夢=仕事」じゃなくてもいいんじゃないか?

アクロヨガフェス2019沖縄 生活

ブログ更新しなきゃねといいながら夫婦でサボっている今日このごろ。。。。

旦那の方の更新です。

Googleで将来の夢と検索すると「なりたい職業」や「あなたにあったキャリア」「適職診断」などのサイトがズラリと並ぶ。

小さいときから将来の夢は? 何になりたいのと質問をくりかえしされ続けているが、なぜ将来の夢=職業なのだろうと疑問に思っている。

だって知ってる職業の数なんていくつありますか? がんばって絞り出しても200くらいしか出せない気がする。てかそんなにだせないかも。

その中から夢を選ぶってめっちゃしんどいな~って思うし、なれなかったら落ちこむよね~って思う。

むしろ職業じゃなくてどう生きたいかが夢で、職業は手段って考え方でいいんじゃないかと最近良く思う?
そのほうが幸せに生きれる気がする。

例えば、野球が好きな人の夢が「野球に関わって生きる」であればプロ野球選手になれなくても、怪我して野球ができなくなっても、野球を見ることはできるし、教えることはできるかもしれない。それなら、この人は夢敗れることもなく幸せに生きれる。

「大好きな動物と過ごしたい」が夢であれば、もちろんそういった仕事についてもいいし、自分で動物を飼ってもいいし、大自然の中の野生動物と暮らしてもいい。

なんか職業に限定すると、その職業につけなかったり、辞めたりすると夢破れた落ちこぼれっぽくなるのが、どうも好きではない。

「本を読むのが好きなので本を読んで生きていきたい」という夢がある人が、小説家や評論家という職業に付く必要はない。読書好きで夢はかなっている。

図書館にいけば本はただで読めるし、本好きはいい夢だと思う。

ちなみに私の夢は「居心地のいい場所を見つけて、好きなことをしてゆったりと生きること」

具体的に言うと「組織のしがらみがない」「自分の裁量で生きれる」「人に影響されない」「人と比べない」「選択肢が少なくシンプル」「人に感謝されることをする」「嫌なことは嫌と断る」「お金に人生を支配されない」「好きなことをする」

ずっと、こういう生き方に憧れていたけど、社会にでたらしっかり働かないといけない。平均年収はこれくらいだから、これ以上は稼がなければいけない。身なりはしっかりとしたものを着るとか世間の評価を気にした人生になっていた。

でも、人に合わせて見栄をはる、必要なんて無いって気持ちが日に日に大きくなってきた。

だから僕は、今の会社を8月末で辞める。やっと組織から脱却できる。

今後は働きたいときに働き、遊びたいときに遊ぶ生き方をしようと思っている。

とはいえ、全く無計画ってことではない。

僕ら夫婦が生きていくのに必要な予算、貯蓄の最低ラインのシュミレーションを2年分くらい作ってあって、その最低ラインを下回らなければ
「居心地のいい場所を見つけて、好きなことをしてゆったりと生きること」の「ゆったり」部分はクリアされる計算。

「居心地のいい場所」は今すでにあるアクロヨガのコミュニティーはとても居心地外がいいし、「好きなことをする」もアクロヨガという魅力的なものに出会えて叶っている。

なので「ゆったり」を9月から実行できれば僕の夢は叶うということ。

ITのおかげで、幸いフリーランスでも仕事には困らない時代になったおかげだなとつくづく思う。

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