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「死」について考える

こんにちは、Miuです。



今日は少し重い話題かもしれません。



私ぐらいの歳ではまだ経験が少ないのかもしれないけど、
今後生きていく中で、
「死」と向き合うことは何度もあるかと思います。
肉親、パートナー、友達、最後は自分でしょうか。
私はまだ直接的に
身近な人や家族が亡くなってしまう経験がなく、
その重さがどれくらいのものなのかを
理解できていません。
もうしばらくは会うことができないということが。



私は東京に仕事に行く時、
いつもおばあちゃんの家に泊まっています。
今の仕事に変わってからなので、
もう2年は月に何度か泊まりに行く生活が
続いています。

最初の頃は
一緒に外食に出かけていました。
一人で外に出ることもできて、
買い物にもよく行っていましたね。
時間のある時はお昼に
一緒に出かけることもしてました。
思えば、その頃はおばあちゃんは料理をしていたなあと
懐かしく思います。

そこから少しずつ体調が悪くなり、
外に出ることはできるけれども
夜に父と一緒に外食するということは
なくなりました。
タクシーを使っても歩く距離がしんどかったのと
夜遅くにごはんを食べると
胃もたれがしてしまうからでしょうか。

それでもモーニングに行ったり、
お出かけしたりはできていたので、
これが続くと思っていました。


けれども、今年の2月頃に呼吸が苦しくなって
急遽入院することに。
呼吸器につながれ、
緊急対応もできるような病室にいたので
かなり危ない状況になっていることを
理解し始めました。

自宅用の酸素吸入器をもらい、
退院することはできましたが、
それをつけながら生活することを
余儀なくされました。

一人では階段の上り下りや、
酸素の機械を運ぶのが大変だったため
誰かがいるときに一緒に出かけるという形で
外出をするようになりました。


変化を感じ始めたのは、
酸素吸入器をつけていないと苦しくなっていたことや
階段の上り下りで息が前より上がるように
なったことです。

この前一緒にうどんを食べに行ったときは
前より行きしなでの休憩が増え、
息が上がるのが早くなっていました。

もう外出は控えた方がいいのかなと
考えていた矢先のことで…
おばあちゃんが転んで怪我をしたとの連絡が
入りました。
転んだ原因がわからず、
意識を失って転倒したようで
顔面に大きな痣ができてしまいました。

姉のみとが付き添ってくれて、
病院に行くと、幸い骨折はなく、
それよりも呼吸器官の悪化が問題とされていました。

すぐに退院というわけにはいかず、
1ヶ月は入院をするみたいです。




私はちょうど東京に仕事で来ていたので、
遅れて病院にいき、
次の日は先生からおばあちゃんの容態について
話を聞かせてもらいました。

気持ちは重たく、
どんな風に過ごせばいいのかが
分からなくなり…
先生はおばあちゃんにもそれっぽいことを
伝えているので、
おばあちゃんもおそらくわかっているんだと思います。









いなくなった時に
どんな気持ちになるんだろうか、
いつかはそれがくることに
怖くなり、落ち込みました。

おいしいうどんを食べても
なんとなく心が引っかかりましたね。

でも、先生から話を聞いて知る前と知った後で
何かが変わったわけではないんです。
おばあちゃんは変わらず、
目の前にいるし、
急変したように悪化してるわけでもないんです。

ただ、まだきていない未来について
嘆いているだけで。

いつかはくるから、
誰にでも訪れるものだから。

では、今できるとこはなんでしょうか?
私たちは未来も過去にも生きることはできず、
今にしかいない。
だからこそ、今できることを大切にしなければ。

今、おばあちゃんにできること。
無理をすることを望んでいるわけでは
ないと思うから、
おばあちゃんの負担にならないくらいで
私ができることをしていこうと考えました。





大阪に帰ってから、
旦那とご飯を作っている時、
ふとこれにも終わりがあるのかと、
ならばこの時間をもっと大切にしようと
そんな気持ちになりました。

どんなものにでも終わりがある。
ついつい、忘れてしまいがちで、
明日も明後日も同じことがあると思ってるし、
隣にいる人はずっといると思ってる。
でも、そうじゃないんですよね。
終わりが近づいてきたと分かった時だけ
大事にするのではなく、
今のこの瞬間も大事にしていくこと。

小さなことで意地を張ったり、
くよくよしている場合ではない。
明日死ぬなら今日を精一杯生きたい。
大切な人との時間を大事にして。
自分が辛くなるような無理もしたくない。

この気持ちをいつまでも持っていたいなと思います。












瀬戸内寂聴さんの言葉で

「こんなに人口が増えたら、三途の川の渡し舟も小舟じゃ間に合わない。
豪華客船のツアーになっているんじゃないでしょうか。
それで先に逝った人たちが歓迎パーティーをしてくれるの。
 とにかく、亡くなった人への一番の供養は、忘れないことですよ。
そうして、忘れてしまわない限り、その人は生きているんです」

というものがあります。
ちょうど死が怖いなと思っていた時に
聞いたのもあって、
死んだら先に逝った人達に会えるのか。
それもいいなあ。
と思ったのを覚えています。
たしかに先立たれるととても寂しいけど、
またいつか会えるんですね。
体の痛みや苦しさもなく、
歓迎パーティーを楽しめるなら
それも素敵です。


「一番の供養は忘れないこと」
という文字を見て、
目頭が熱くなった私は
まだまだ今を精一杯生きる決心が
ついてないのかもしれません。

それでもこの瞬間を大事に。
忘れずに過ごしていきたいです。


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